【このままなんとなく、あとウン十年も生きるなんて マジ絶望】長江 貴士
ぱっとタイトルを見て、あーその通りだなと共感してこの本を手に取りました。
概要は以下の通りです。
【タイプA】⇔【タイプB】
やりたいことや夢を持っている⇔やりたいことや夢がない
ポジティブ、自信家、自己肯定感が高い⇔ネガティブ、自信がない、自己肯定感が低い
夢に向かって迷うことなく全力を出せる⇔誰かがやりたいと思っていることを後押しする
適応力―理想を手放し、目の前の現実を受け入れる力
- 執着しない
- やりたいことを持たない
- 断らない
- スキマを埋める
- 「どう扱われたいか」を示す
評価の基準を自分の内側に置く
結局は適応能力を高めることを主軸にした本だった。
「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子)と同じように、他者や目の前の現実は変えられないから、自身の心の在り方を変えることを勧めている。
近頃はやりの(もう古い?)ミニマリストにも似た考え方で、タイプAの人のようにがつがつ何かを求めたりせず、自分の目の前のことを淡々とこなす生き方、といえるかと思う。
自身が主人公になるのでなく、タイプAの補佐役として生きる、ということが書かれている。
まぁ、わざわざ本に書かなくても、そもそも昔からタイプAとB(さらにC,D・・・?)のような人たちが存在し、それらが社会を構成しているわけで。
本書では、Aのような人ばかりでは社会は成り立たない、Bの存在は重要、Aを生きづらい人はBの生き方を、と述べている。現代はインターネットの普及で、エセタイプAの勘違いを生みやすい環境であり、またエセでもタイプAの生き方が推奨されている。しかし多くの人が地道にタイプBを生きているのは実情だ。
それに気づいていないのは、地に足をつけて生きることができないエセタイプAだけなのだと思う。
かく言う私も確実にタイプBだ。さらにたちが悪く、誰かがやりたいと思っていることを後押しする!というような気概もあるような、ないような。
ほんと性格悪いな、自分。
しかし、この作者もそうだが、最近の若者は執着しない、しがらみを持ちたくないがために結婚とかしないとか。
この作者的には失うことを恐れたくないがため、とか言い訳してたが。
結婚・出産したおばちゃんの私は悲しい・・・
え、何。そんな感情の浮き沈みを経験したくないがため、のぺーっとした人生を生き続けるの?成功も失敗もしないような、そんなロボットみたいにすべて調整した人生って楽しいんだろうか?
それで死ぬ時後悔しないんだろか?
友人も作らないって言ってたんだっけ?
そうでないなら、恋人同士という深い関係を作るの怖がってるだけじゃん。
見せたい自分しか相手に見せられない、結局SNSにはまってるやつらと一緒で。他人からの評価気にしてるのと一緒じゃ?
うーん、なんだかいろいろもやもやと考えてしまうな。
最近の若者に限らず、今の日本人は他者にとことん遠慮して生きてるんですよね。
予定調和で生きているというか。
旅行やら留学で外国に少し行きましたが、彼らは人種価値観言語なにもかも自分と違う相手と常に対峙している。
だからこそ相手と自分の違うところを尊重するし、逆に共通しているところを大事にしているような。
まぁその分差別も激しいですけども。
日本人のみんな同じような服、同じような化粧で、同じような生き方に甘んじているような生き方よりはマシなんじゃないかと思ったりもします。
私はお互いを比べて相手より上か下かを常に判断して生きるのは、空しいしつらいだけだと思う。自分が納得するのであれば、それぞれが生きたいように生きていいじゃないかと思います。
今の世の中は成功者の在り方が逆に固定されている気がします。
多様な働き方を認めますよ、副業OKですよ、などと聞こえの良い言葉を並べていますが、本当に優秀でその人以外変わりがいないようなスキルを持っている人以外は
大した仕事もできない貴方を完全に会社で面倒見るほど余裕がないので、
暇な時間は貴方ごときでもできるような仕事を詰め込んで生活を補えるほど食い扶持を稼げば?ってことだと思います。
正社員ですらある意味派遣社員と同じような扱いになっているというか。
人に言われたことだけやっていれば良いと思っている人は、本当にこの先働くところがなくなると思われます。
AIがさらに発展し、あらゆる仕事が効率化されたら、ますます人間の方がいらなくなります。
いまのYoutubeやらTwitterやら様々な技術や情報に振り回されているだけの人たちは、ますます搾取されるだけになるでしょう。
情報を消費するだけで楽しいですか?Twitterでバズったくらいで自己満足に浸っている人は、それが他人に創り出されたプラットフォーム上でのことであって、製作者側が削除すれば貴方の存在はネット上から消え去ることに気づいていますでしょうか?
私たちの存在はそのうちすべてデジタル化され、その記憶や情報はネット上を浮遊することになり、ある意味肉体は死んでも魂は存在する、ということになるのでしょうか。
なんだか攻殻機動隊を思い出しました。
現実と妄想の間を行き来しながら、今日はのんびり風呂に入って寝ようと思います。
良い夢が見れますように。